本書は、一八七三年と一八七四年にニネヴェ遺跡で実施した発掘の経過と、そこから得られた主要な発見を恒久的な形で記録するためにまとめたものである。この事業を立ち上げた栄誉は新聞「デイリー・テレグラフ」の経営陣に属する。第一回遠征の終わりに彼らは許可勅書と発掘機材を大英博物館の理事に寄贈し、作業再開を容易にした。第二回遠征は、許可勅書で許された残りの期間を活用するためだけのものだったので、私はオスマン政府の特許が定める期間内に発掘を終えるよう命じられた。
私はトルコ帝国の領内で活動してきたが、その役人の多くの好ましくない振る舞いに言及せざるを得なかったことを遺憾に思う。これを必要以上に強調することはせず、不行跡の多くは記さず、触れたものもできるかぎり控えめに述べた。しかし、この問題を完全に黙殺すれば、叙述を歪めることになったろう。アジアの統治においてトルコ人が自らの利益に無頓着であり、とりわけキリスト教徒への苛政と迫害においてそうであることは、少しの疑いもない。アジア・トルコにおけるアメリカの宣教団はこの地で高邁な働きをしているが、彼らが有効に活動できるかどうかは、イングランドとアメリカから受ける公的支援の量に正比例する。
本文中では、公的にも私的にも遠征で助力くださった幾人かの紳士に謝意を表した。ここにさらに、モスルのフランス領事ペレティエ氏の名を加えねばならない。氏はトルコ官憲との折衝で大いに力となり、まるで同胞であるかのように私の事業に関心を寄せてくれた。ペレティエ氏がモスルにいて、寛大に英国の利益を顧みてくれるおかげで、英国領事の不在はさほど感じられない。しかし、アレッポとバグダードの間に広がる広大な地域に英国の代表が一人もいないのは、きわめて不運と言わざるを得ない。