一般に、ギルガメシュ叙事詩の主人公、ギルガメシュはシュメール時代にはビルガメスという名前で呼ばれていた……とされています。私もそう思っていたのですが、この定説に反論する論文を見つけました。
内容をざっくり紹介していきます。いつものことだけど、ちゃんと読みたい人は原文をあたってね。
READING SUMERIAN NAMES, II: GILGAMEŠGonzalo Rubio Journal of Cuneiform Studies Vol. 64 (2012), pp. 3-16 (14 pages) Published By: The University of Chicago Press
この古代の王は全時代を通じ一貫してギルガメシュと呼ばれていたのだと主張する論文の著者は米ペンシルバニア州立大[1]のゴンザロ・ルビオ。シュメール関係の論文でよく名前を見る方なので著名な学者なんだと思います。代表的な論文はシュメール語の祖語を探るOn the Alleged "Pre-Sumerian Substratum"(pdf)ですかね。
#従来の読み方
さて、シュメール時代のギルガメシュの名前は定説ではどのように読まれているのでしょうか。論文ではアンドリュー・ジョージのギルガメシュ本(2003)を元にこのように説明しています。

ギルガメシュの名前が見える最も古い資料はファラから出土した神名表です。ここに書かれた綴りはᵈGIŠ.NE.PAP.GA.MES 𒀭𒄑𒉈𒉽𒂵𒈩です。このGIŠ.NE.PAPをどう読むかが焦点となります。
NE.PAP𒉈𒉽はもう少し時代が下るとNE-šeššig𒉋と綴られるようになります[2]。GAもDUN3gunu(AGA₃)に変わっていますね[3]。全体ではᵈGIŠ.NE-šeššig-aga₃-mes 𒀭𒄑𒉋𒂆𒈩となります

このNEやNE-šeššigをBILと読む例がいくつか見つかっているため、それぞれBIL、BIL₂という符号名が割り当てられています。さらにこれらにGIŠの文字が先行した場合にもBILと読む例があり、それぞれBIL₃、BIL₄とされます。つまりこういう関係です。
| 読み | 文字(翻字) | 楔形文字 |
|---|---|---|
| BIL | NE | 𒉈 |
| BIL₂ | NE-šeššig | 𒉋 |
| BIL₃ | GIŠ.NE-šeššig | 𒄑𒉋 |
| BIL₄ | GIŠ.NE | 𒄑𒉈 |
そういうわけで、上のᵈGIŠ.NE-šeššig-aga₃-mes はᵈbil₃-aga₃-mesと読まれるわけです。これがビルガメスの根拠です。
#ルビオの主張
さて、この定説にルビオはどのように反論したのでしょうか。
ルビオは「ギルガメシュの名前に登場すると言われている以外に、bil₂という読み方が実際にどのように分布しているかは、非常に興味深いものがある。NE-šeššigはgibilと読むのが一般的だが、bil₂はいくつかの特定の文脈でしか登場しない」として、実際に使われている例をいくつか挙げたあと、「NEをbilやbi₂と、NE-šeššigをbil₂と、GIŠ.BIL₂をbil₃と読む場合は、非常に特定の語彙、または借用語や外来語に限定されている」と書いています。
#NE-šeššigはgilとも読める
アンドリュー・ジョージも指摘している通り、NEにはgilという読みがありえるとルビオは書いています。シュメール語の音変化の規則によると、C₁ V C₂ V C₃という形の語はC₁ V C₃という読みに変化しうるからです[4]。 例えばsumunがsunに、sakarがsarに、niminがninに変化する例があるのですが、この規則を適用するとgibilはgilになるわけです。
実際に中期バビロニア時代の辞書には、NE-šeššigにgi-ilという読みを挙げているものがあります。ここにはNEに対してはbi-ilと読みを挙げている一方、=NE-šeššigに対してはbilの読みは挙げられていませんでした。
もちろんこの時代にはすでに問題の王の名前はギルガメシュと呼ばれるようになっていたわけで、この字がギルと読まれるのはそのためではないかとも言えそうですが、ルビオは「これらの証拠は、古バビロニア人のギルガメシュという読みをシュメール語の伝統的な語彙に逆輸入した結果であるとは考えられない。上記のように、NE-šešigをギルと読むことは実際の語彙リストで証明されており、bil₂や他のbilの分布が非常に限られていることからも裏付けられている」としています。
#ギルガメシュとビルガメス
ジョージは、「三千年紀の後半、宮廷や書記達の間では文学的にビルガメスと読んでいたが、市中ではギルガメシュという形が一般的だった」としています。これに対してルビオはgibilという読みが実際には単音節のgbil、あるいはkpilだった可能性を指摘します。gbilgamešという一つの発音に対してbilgamesやgilgamešという2つの表記が生まれたのではないかということです。
- NEやNEšeššigを/bil/と読む例は特定の語彙やカテゴリに限定されている。
- 中期バビロニアの語彙表などにはNE šeššigをgi-ilと読む例もある。
- ギルガメシュのシュメール語での綴りでGIŠが省略されることはほとんどない。 これは、GIŠ.BILやGIŠ.BIL₂においてBILが音韻要素として機能し、GIŠとの組み合わせで/gil/という読みを導いているからではないか。
- gilと読める文字は一つだけ(GIxGI𒄃)あるが、*ŋilと読める文字はない。gišは実際にはŋišであるから、GIŠ.BIL₂はŋilなのかもしれない。
- ギルガメシュは、Barahšum (Ba-ra-aḫ-šum)の王アバルガマシュ(A-ba-al-ga-maš)に見られる名前のパターンと同じかもしれない。その場合はフリ人の名に由来する可能性がある。
ルビオはこのようにまとめた上で、「辞書にはNE-šeššigの読みにギルがあって、ビルという読みはかなり限定した語にしか使われていないのだし、上に挙げたような理由もあるのだから、ギルガメシュのシュメール語の名がビルガメスであったという説は捨てさるのが賢明ではないか」と書いています。
さらにルビオは、ビルガメスのさらなる源流にパビルガメスという名前があったという説に対しても検討を加えた上で、このように結んでいます。
「シュメール語で『ギルガメシュ』ではなく『ビルガメシュ』と読むのは、単に符号の並びを誤解した結果であると考えられる。さらに、パビルガメスをこの名前の最初の形として読む可能性は、やはりいくつかの初期王朝時代の綴りを誤って解釈したことに起因する。したがって、アッカド語でもシュメール語でも、メソポタミアの歴史のすべての時代において、このウルクの有名な王の名前はギルガメシュであり、ギルガメシュだけであると結論づけなければならない」
というわけで、シュメールでもギルガメシュはギルガメシュであったという論文の紹介でした。2012年に発表されたものですが、その後の評価はどうなんでしょうか。新たな定説になっているのでしょうか。詳しい方教えて下さい!
ePSDをやってたり古バビロニア版ギルガメシュ叙事詩を所蔵してることで有名な考古学人類学博物館を擁する私立のペンシルバニア大学とは別。
šeššigはヴィンケルハーケン(𒌋みたいなやつ)が付加された文字を指す用語です。
ところでこのaga₃、gin₂とも呼ばれる字の形がDUN₃𒂅なのかDUN3gunu𒂆なのかわからなくてずっと気になってたんですが、このハンドコピーを見るとDUN3gunuで間違いないみたいですね。。ルビオの論文にも書いてある通りこの2つの字形は後の時代(古バビロニア以後)では同一視されるようになるようですが、シュメール時代にどっちの字形だったのか、私(ゆー)にはわからなかったのでした。なおgunuは縦棒や横棒が付加された文字を指す用語です。šeššigもgunuもアッカド語かな、たぶん。
Cは子音、Vは母音です。